改めて日本地図を作った伊能忠敬ってすごいですね! 

     

    

     

このブログを書いている日が、

ちょうど4月19日ということで、このお話を。

    

4月19日は、地図の日です。

       

というのも、江戸幕府の一大事業として日本地図の作成を請け負った伊能忠敬が、寛政12年4月19日に、蝦夷地の測量へと出発したことにちなんで制定されたとのことです。

     

   

ということで、

「伊能忠敬

のお話を少し。

   

    

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元々商人であった伊能忠敬は、

平均寿命が50歳の時代に、51歳で天文学の学校に通い出します。

      

今で言ったら、80歳すぎて、予備校に通うようなものでしょうか?

     

   

      

なぜ、天文学の学校に通い始めたかというと、

「地球の大きさを知りたかったから」

だそうです。

     

     

そこで、

「北極星から江戸、北極星から蝦夷地、この2つの角度を調べれば地球の大きさがわかる」

と学んだ伊能忠敬は、調査に行くことを決意します。

   

     

しかし、

当時、各地には関所があり、

関所を通過するためには、大義名分が必要です。

      

そこで、仕方なく、

「地図を作る」

という名目で蝦夷地に向かう許可をもらったのだとか。

    

最初は地図なんて作る気はなかったんですね。

     

     

なんだかんだで、蝦夷地に到着し、

色々あって、蝦夷地を含む東日本について地図が完成し、

念願の地球の大きさも知ることができた伊能忠敬!

    

     

これで本人的にはOKだったんですが、

江戸幕府から

「西日本の地図も作ってくれ!」

と。

 

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伊能忠敬が西日本に足を踏み入れたときには、

すでに60歳を超えていたとか。

    

     

晩年、奥さんに出して手紙に、

「オレ、もう歯が一本しかないわぁ。漬物も食べられない。」

と、愚痴が残っているとかいないとか。

    

    

そんな苦労を重ね、ついに日本地図が完成します。

     

    

この地図が、

なんと現在の日本地図とほとんど誤差がないというのが驚きです!

    

     

当時、この地図を見たイギリスの海軍が

「こんな精巧な地図を作れる国と戦争はできない。」

と、自国に引き揚げたという逸話があるとかないとか。

    

    

そして、

伊能忠敬が日本地図を作るために日本中を歩いた距離が、

奇しくも地球一周分

ということです!

というお話。

   

    

何事もスタートを切るのに遅いということはないですね!

   

   

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