「AIにできない仕事」ができるかが問題
AIは、近い未来、
今のホワイトカラーが担っている仕事の大半を担うことになるといわれている。
こうした予測を受け、
「AIにできることはAIに任せて、
人間はAIにできない仕事をすればいい」と考える人もいる。
しかし、そのためには、
AIの手に負えない仕事を、
大多数の人間が引き受けられるようにしなければいけない。
AIにできない仕事の多くは、
コミュニケーション能力や理解力を求められる仕事
である。
こうした仕事をするためには、
高度な読解力と常識、人間らしい柔軟な判断力が必要となる。
常識や判断力は日々の生活で身につけられるかもしれない。
しかし、
読解力を基盤とするコミュニケーション能力や理解力は、
自然に身につくものではない。
3人に1人は簡単な文章を理解していない
「読解力」という言葉を聞くと、
小説や評論文を読んで、作者が訴えたいことや行間に隠されている意味の読み解きを思い浮かべる人が多い。
しかし、ここでの「読解力」とは、
辞書にあるとおり、
「文章の意味内容を理解する」
という、ごく当たり前の意味での読解力である。
学校の授業は、
「教科書に書かれていることを読めば内容は理解できる」
という前提に立って進められている。
しかし、
累計2万5千人を対象に基礎的読解力のテストを実施してみたところ、
中学校を卒業する段階で、3人に1人が簡単な文章を理解できていない、
という衝撃の結果が明るみに出た。
また、
高校生の半数以上が、
教科書の記述の意味をしっかり理解してないこともわかった。
読解力はどうすれば身につくのか。
読解力を養うにはどのような方法が有効なのか。
残念ながら現時点では、それを解明する科学的な研究はない。
読書習慣や学習習慣、得意科目も、
読解力には関係ないことが調査の結果わかっている。
ただし、
多読よりも精読・深読に、なんらかのヒントが隠されているのかもしれない。
読解力などの基盤的な素養の発達は、
15歳前後で止まってしまうといわれる。
しかし、
経験や訓練を積めば、読解力はいくつになっても向上するとの研究も。
ホワイトカラーはAIに分断される。
大学入試のために身につけた知識が、
その後の社会生活で直接役立つことは少ない。
それならばなぜ、社会に出てから役に立たないようなことばかり教えて、
それをどの程度修得しているのか大学受験で試すのだろうか。
大学入試の主な目的は、
学生のスクリーニング
である。
いずれ、ホワイトカラーの会社に学生を送り出すとき、
その学生がはたしてどの程度の能力があるのかを測る指標として、
大学入試はこれまで機能してきた。
しかし、
現行の大学入試は、今後、人材のスクリーニングとして機能しなくなるだろう。
AIが本格的に導入された後に求められるのは、
高度で知的な労働のみである。
単純な労働は、人件費の安い他国へと移動してしまう。
高度な仕事ができないホワイトカラーの大半は、
これから職を失ってしまうかもしれない。
企業にとって必要な人材とは、
ITやAIでは代替不可能な人材である。
つまり、
読解力が高く、フレームに囚われない柔軟性があり、
自ら価値を生み出せるような人材なのだ。
しかし、
現在の教育では、このような人材を育てることは難しい。
これから求められるのは、
どの科目の教科書に書かれていることも理解でき、
その内容がはっきりとイメージできるような子どもを育てることである。
結び
AIでは、代替できない産業が今後生まれても、
現状ではその担い手となる人材が不足している。
だからこそ、
新しい産業は、経済成長のエンジンとはならないと思われる。
一方で、
AIに仕事を奪われた人は、
誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、
失業するかの二者択一を迫られることになる。
これは日本に限った話ではなく、
全世界で起こりうる社会変化だ。
その後やってくるのは、
「AI恐慌」とでも呼ぶべき世界的な大恐慌である。
もしかすると、
1929年の世界恐慌や、
2007年のリーマンショック、
とは比較にならないほどの大恐慌になるかもしれない。
こうした大恐慌を回避するためには、
「奪われた職以上の職を生み出す」以外に方法はない。
これから訪れるAI時代を生き抜くために必要なのは、
人間らしく柔軟になること、
暗記や計算などに逃げず、意味を探し求めることである。
生活の中で困ったことを見つけ、
それをビジネスに変え、起業する。
たとえ小さい規模でも、
需要が供給を上回るようなビジネスを見つける。
このような柔軟性をもった人間がもっと社会に増えていけば、
日本も世界もAI大恐慌を迎えることなく、
生き延びることができるのだはないだろうか。